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プロジェクトスタート!

オリジナルCHO細胞開発のプロジェクトの発端は2017年、自社でバイオ医薬品に関する研究開発を進める中で、一つの問題と対峙したことから始まりました。

それは、『研究』から『事業化』に進む際に、既存の細胞に課せられているライセンス料という制限が想像以上に大きなハードルとして存在しているという事でした。
研究開発の成果による利益保護の観点から、ライセンスや特許などの権利は非常に重要です。しかしライセンスの制限や巨額のライセンス料によって、研究結果の社会実装を足踏みさせる訳にはいかないという思いも芽生えました。

このことから、ライセンスを足枷と考えることなく手軽に利用できる細胞があれば、より良い開発環境を整えることが出来ると思い、本プロジェクトがスタートしました。

チャイニーズハムスターを入手せよ!

手探りの中でプロジェクトは開始されました。
開始早々に最初の困難に直面します。何から手を付け、何をしていけば良いかを考えるところからのスタートでした。

社内にCHO細胞の樹立経験者はおらず、そもそもCHO細胞を樹立した経験のある日本人研究者はごく限られていました。 そこで、CHO細胞に限らず細胞樹立の経験がある方を探して、話を聞かせていただき、社内で実現可能か検討する日々が続きました。

また国内で実験動物を扱っている会社にコンタクトをとり続けましたが、系統の分かるチャイニーズハムスターを販売している会社は1社もありませんでした。 次に海外の販売会社も調査対象に加え、販売していそうな会社にメールを送りましたが、状況は国内同様で良い回答は1社もありませんでした。

しかし諦めきれず一度断られた会社の担当者に、メールではなく直接電話して話を聞きました。すると1社から今でも販売できるという回答を得ることが出来、見積もりを取得しました。 その後、輸入する工程で予期せぬトラブルに見舞われ、予定よりも大幅に時間がかかりましたがようやくチャイニーズハムスターの卵巣が当社に到着しました。

細胞の突然死の原因は?

早速、細胞培養に取り掛かることになりました。

事前に調査していた培養方法通り、細かく切り分けた卵巣の組織断片を中心に日に日に様々な形態の細胞が溶け出すように培養容器の底に広がっていきました。
順調に培養できていると思っていた矢先の6日目の朝、まるで破裂したかの様な痕跡だけを残して、細胞が一斉に消えていました。 細胞の突然死に呆然とする中、よくよく細胞を観察してみると組織断片周辺の一部の細胞が生き残っていました。

生き残った細胞を救うためにも一刻も早く対策を講じねばならないという焦りがありました。一方、時間的にも残された細胞の量的にも試行錯誤する余裕もありませんでした。そのような状況の中、何が最善手かを判断しなければならない難しさがありましたが、短期間で試せる限りの培地や培養条件を検討し、なんとか培養できる条件を見つける事が出来ました。

チャイニーズハムスターの入手の苦労や、樹立時の予期せぬハプニングによる焦りを思うと、なんとか培養条件を見つけたときの安堵の気持ちは今でも忘れられない経験です。

ライセンス販売可能なクオリティに!

培養条件が見つかってからは、観察、培地交換、継代の繰り返しです。 ここから先は、作業のミスが命取りとなります。

操作は慣れていますが、コンタミネーションをしない様に常に緊張を保ち操作を行いました。大量の培養容器で根気よく培養を続け、約18ヶ月間でサイズ・形状・倍加時間がさまざまな複数の細胞株を樹立することに成功しました!並行して実験を進め、高生産能力をもつ複数の細胞株を確認するに至りました。

そして、一部の細胞株は目標であった浮遊化させることができ、浮遊化した細胞株の無血清馴化にも成功しました。

無血清馴化させた細胞株の中から生産能力を検証し、最も生産能力の高い細胞株としてCHO-Spica細胞を選抜しました。

余談ですが、Spicaという名前はおとめ座の中で最も明るい星であるおとめ座α星に由来しています。Spicaは元々ギリシア語で「穀物の穂先」を意味し、CHO-Spica細胞による豊穣(タンパク質の高生産)の願いが込められています。

その後、CHO-Spica細胞の専用培地も開発し、遺伝子導入などの培養方法も確立できたことから、商用利用可能な細胞としてライセンス販売を開始しました。

複数の高生産株を観察できたと述べましたが、 別のキャラクターを持つ細胞について現在も開発を継続しています。

本HPでまたご紹介できればと思います。